研修レポート:リーダーとのきき方、話し方 ~前編(1日目)~(2017/10/18-19)
2017年10月18日~19日にいなかビジネスマネージャー合同研修会「リーダーとのきき方、話し方」が行われました。2年前に開催された第1回目から数えると、11回目となります。
有り難いことで四万十を中心として様々な方にお集まりいただき、参加人数は定員の12名に達しました。中でも、昨年度の研修会でもたくさんの方が来てくださった香川・三豊市から今回も多くのご参加をいただきました。
様々なテーマで行われてきたこの合同研修会ですが、初回から変わらず底に流れるテーマは「きいて、話す」ということ。なぜなのでしょうか。そして今回は「リーダーとの」という題がつきました。
人手がいない田舎において、実に様々な仕事をマネージメントする立場にある2番手は常日頃リーダーの意思を汲み取ろうと努力されています。
しかし、指示された通り一所懸命に仕事を進めるも、
「違う!そんなふうにやれとは言ってない」
と言われてしまうこともしばしば。聞いていたものとはどうやら食い違っていた模様。
考えながら、悩みながら、それでもリーダーとコミュニケーションを取りながら何とかプロジェクトを形にしていきます。
そんな中、ふとリーダーとのやり取りが上手くいかないことが続いてしまい、
「今度は大丈夫だと思うのだけど、また『違う!』と言われてしまうような気がする…」
「言いたいことがあるのにいざリーダーの前に行くとなんだか言いたい言葉がうまく出てこない」
「最近では言わなくなることも多くなってきている、いや言えなくなっているのかもしれない…」
次第に気持ちのどこかにやり場のない曇りが出来ていってしまうことに――。
上のような話は例えではありますが、そういう些細な心の淀みの積み重ねはリーダーとの意思疎通が次第に取れなくなっていくことに繋がっていきます。
根性論を持ってして「ハートでガンガンいけば大丈夫!」といった場合も時としてあるかもしれません。しかし、本質的な状況が見えず悪化していけば話し合い自体を避けるようになり「リーダーはこう思っているから」と一方通行的なコミュニケーションが生まれてしまう原因になっていきます。
その結果、進めていたプロジェクトはリーダーの意図から更に外れていくケースも珍しくありません。
“リーダーとの”でなくともどんな仕事を進める上でも必ずぶち当たってくるのは人と人とがコミュニケーションを取り合うこと。相手から何かを受け取り、相手に何かを伝えていく。その循環が上手くいかないと次第に流れは滞っていきます。
ではそのコミュニケーションの停滞はどこからやってくるのでしょうか。逆に言えばどうすればちゃんと話し合うことが出来るのでしょうか。
今回の研修は講師に「きいて、つなぐ」プロのお二人、fence worksの田中聡さん、ひとことワークスの池澤良子さんを迎え、技法、つまり単なるテクニックではなく「きき方、話し方」について大切な「在り方・態度的な要素」を集まった皆さんで体験的に学んでいきました。
一人一人が自身の内にある気づきを得ていく
田中さんはプログラムを決めた構成的なものから、プログラムのない非構成ワークショップまで様々な「きく、話す」場づくりをしていらっしゃいます。
また池澤さんはファシリテーターとして数々の非構成的な場づくりに携わり「きく、話す」の世界を深めていらっしゃいます。
いなかビジネスマネージャー合同研修会では非構成的にワークを行っていきました。
では「非構成」とは一体どんなものでしょうか。簡単に説明いたします。
端的に言うと「あらかじめ目的を置かないこと」。目的がないのではなく、目的に縛られないことを眼目とします。
研修会のような一つの「場」があるということは皆それぞれ何かしらの解決したい課題、または取り組んでいきたい目標があります。言いかえれば、参加者の皆さまや講師の方々、それに主催者を含め15人のグループであったら15人の「人間」がそこに存在することになります。
構成的なものが良くないという意味では決してありません。ですが一つの目的のみに向かっていく姿勢は、時にそこにいる15人の人間を、「その場が持つ可能性」を半ば強引に決めてしまうことに繋がってしまうかもしれません。
それは色々な人が集まってあらゆる可能性が存在している場を「これが正解、これがゴールです」としてしまうことにより、参加者一人一人の発見や気づきの妨げになる場合があるからです。
人間は正解があると思った瞬間に「誤り」が何かということも同時に意識するもの。「可能性=誤り」となった瞬間に考えの硬直が始まってしまいます。
目的をあらかじめ置かないことで場にいる皆の発想の方向は縛られることがなく、拘束もされず自由なものとなっていきます。
つまり、目的をいの一番に大事にしたいのではなくそこに集まっている人達、それは参加者、講師、主催者も含めて関わっている全員が大切なわけです。
ですので、非構成的ワークショップである合同研修会では一人一人の存在が浮き彫りになり、各々に課題と気づきを得ていくものに自然となってゆきます。
それは時々に応じてその人の活躍・発揮・躍動が大なり小なりあれどそれは良し悪しの世界を超えていきます。それが「人の可能性」というものなのかもしれません。
ワーク・マッピング「相手が見ている景色を眺めてみる」
最初のワークでは体験的に「相手の立場になってみる」ということを皆で味わってみました。「理解する=understand」の語源は「下に(under)立つ(stand)」。つまり「相手の足元に立つ」ことが理解するという意味に繋がっているそうです。
「きき方、話し方」において重要な在り方の一つとなるのが「積極的傾聴」。文字通り相手の話に積極的に耳を傾けていく姿勢です。これを実践していく上で先方の立場を理解することはとても大切になってゆきます。
では、それを知るためにも相手が立っているところに実際に立ってみようじゃないかということで「マッピング」というワークを行いました。
どういうものかというと、まず会場に仮の十字のラインを引いて空間を4分割します。分布グラフのように上下左右それぞれ線の端、真ん中に4箇所特性を持たせます。
最初のマッピングでは縦軸に、
「聞き上手」
「聞き下手」
横軸に、
「話し上手」
「話し下手」
というグラフで行いました。参加者は自他どちらの評価も特に気にせずに、それぞれ思うがままに「ここかなぁ」としっくりくる場所に動いていきます。
自然に「聞き上手だけど話し下手」「話し上手だけど聞き下手」などに分かれて感性が合う方たちの集まりが出来ていきます。中には「話し上手だし聞き上手」という方もいらっしゃいました(スゴイ!)。
それぞれ近くにいる方とグループになりセッションしていきます。実際に似た属性の方と話し合うと「それわかるなぁ~」と、同じような思考パターンを多く持っていることが驚きでした。
次のマッピングでは縦軸に、
「私は神、人生思い悩むことはない」
「人生ダメダメ、お先真っ暗」
横軸に、
「最近ツキまくり、良い事しか起こらない」
「最近悪いことばっかり起こる、不幸を感じる」
という区分けで動いて頂きました。
「私は神でツキまくり」な人達、「人生ダメダメ」な人達、どっちでもない「真ん中」の人達。
その時に感じた気持ちを大切に皆さん色々な場所に散りました。その後また近くの方とグループになりそこに居ることになった気持ちなどをシェアします。
各グループに話し合ったことをインタビューしていくと、そこに居るに至ったその人の価値観が見えてきます。
例えば「私は神でツキまくり」のうちの一人の方は、
「私は金運も女性運もありませんが、それ以外は全部ツイています。今の仕事に就けて、自分の好きなことを仕事でやらせてもらっていてとても幸せです。今までの人生も、とにかく運があってツイてツキまくりなんです」
と、語ってくれました。
そのツキまくり周辺にいた方々のグループで話し合っていたことは「例えばケガしてもいいことに思える。悪いことなんて起きない」といったような価値観でした。皆さんとにかくイケイケであります。
ではここでアンダースタンドの実験です。対極に「人生ダメダメで悪いことしか起こらない」方が一人いらっしゃいました。そのまま立ち位置を「神でツキまくり」の方々と替えてみることに。すると、
「坂道の上にいるような、背が高くなったような感じがする。まるで戦国大名になった気分です」
真逆の幸せゾーンに行くとそれまでのズーンと暗い表情から一転。途端にニコニコと明るい顔になっていき、そんな感想を述べてくださいました。
また反対の位置に着いたツキまくりの面々は急にソワソワ。
「彼がさっきいたこの場所が重たい感じがする」
「何だか申し訳ない気持ち、生きていてすみませんという感じ」
場所を入れ替えてもあまり変わらないかもという方も中にはいましたが、そんなネガティブことをついつい漏らしてしまう結果となったのです。
このワークで体験的に学んだ要素は主に二点あります。その時に本人が感じとるフィーリングと、人それぞれが様々な立場から見ている景色。
マッピングでは本人にとって一番居心地の良い、落ち着く場所に行っていただきました。これは年齢や立場など、その時々によって変化していきますが、それがその人自身“その時”に感じている気持ちなのです。
自分自身への認知もそうですが、他者を見たときにそのフィーリングを感じ取ることは相手を理解する動きへと繋がっていきます。
そして相手が見ている景色。そこに居た方がどんな情景を捉えていたか。マッピングにてポジションを入れ替えた際、それをその立っていた場所から感じ取ったからこそ自身の感覚に変化が起きたのです。
それは話を聴く時にも同じことが言えます。リーダーがどんな背景を持って、どんな立場で、どんな景色を見て言葉を発しているのかを感じとることに繋がるからです。
相手が眺めている景色を少しでも眺められれば、自分から見ていたものとは全く違ったものだったことに気がつくでしょう。
「でもやっぱり自分の事を神なんて感じている相手のことは理解できない」
という感想を持った参加者の方もいらっしゃいました。
確かに、ここでは実際に動き感じてみたもののそれで相手の全てがわかるわけではありません。また頭の中だけでの想像に任せてみたところで限界もあります。
これはまた別のワークにて体験的に学び、そして理解を深めていくことになるのでした。
ワーク・テルペンの積み木「個は全、全は個。聴き方の姿勢を肌で感じる」
百人百様。人間は一人一人の考え方が全く異なった生き物です。同じように生まれ、同じように育った人は世の中に存在しないからです。
先のワークで似たような思考を持った方が近い場所に集まっていましたが、より綿密なより細かいマッピングを用いれば全く同じ所に立つ人間はそうそういません。
次は「テルペン」という椅子の形をした木の玩具を円になって順番に積んでいくという至ってシンプルなワークです。
崩れたらそこでおしまい。一見簡単な遊びのようですが、よく見れば見るほど奥が深い世界がそこには広がっています。
まず始めに二つのテルペンを円の中心に置き、そして順々に一つ一人、一つ一人と積みあげていきます。「一つ一人」なのです。
ある人は自身が携わっている仕事の経験からの目測をまじえて。またある人は直感で迷いなくスッと素早く積んでみせて。
息を呑み、手を震わせながら、置くその瞬間にも自分が持つテルペンと積み重なっているテルペン双方をカタカタと震わしながらゆっくりと重ねる方。
体まるごと寄せ、積み上がっていくテルペンをまるで大事な恋人を守るかのように包み込みながら置きにいく方。
「そんなところに積めないよ~!」
と周りからの声も気にせず我が感覚を信じ果敢に攻めていく人。
テルペンは徐々に徐々に積みあがっていきます。
円の中心へと向かっていく足取り、どこに積むかを観るポイント、そして積みあがるテルペンとの向き合い方。その感じ方、捉え方による積む様は参加者それぞれ全員が違ったものでした。
1周が過ぎ、2周目に入り次第に緊張感が、場の圧力が高まっていきます。
そして「アッ」という間の一瞬、ついに積みあがったテルペンは崩れさりました。
「ああぁ~~~~~~~」
と、崩した人も周りも残念とも安堵ともつかぬ声が会場を包みました。
結果の絵だけを見ると「あ~あ、残念」ということになってしまうのですが、その全過程を共にした皆さんにはそういった気持ちだけではないものが残ります。
崩壊することで解き放たれる緊張感。「よく崩してくれた!」とまではいきませんが、崩れた直後に湧き起こった喜びまじりのような拍手は確かにありました。残念なのか安堵なのか。その場には一体何が起こっているのでしょうか。
それは円の中心にそこにいる皆さんの「間柄」が生じているからです。一つ一つのテルペンにそれぞれ自分自身の存在をかけて積上げていく過程でその間柄にあるテルペンはすでに単なる木の椅子の玩具ではなくなります。
「個」の集まりが円となることで「全」となってゆきます。一つ一つの作業は「個」であるように見えるのだけど、円の中で起きているのは「全」のこと。つまり円の中心に存在している積み上がったテルペンは参加者皆さんの集合体となるのです。
他の人が積んでいても自分が積んでいるように感じ、崩れた際ももはや他人事ではなくなってしまうのです。それがこのテルペンの、そして円であることの面白さ。
また、己の存在をかけて目の前にあるものと向き合う時、人の動きは自然と変化していることに気がつきます。
積み上がったテルペンを見据える姿勢。テルペンを手放す瞬間までしっかり感じとっている身体の運び。意識のレベルを超えていく感覚が生まれていきます。これはもはやテクニックではなく、在り方・態度的な要素。
そしてそのギリギリまで手に持つテルペンを観ていきそれをゆっくりと離していく感覚はそのまま「聴く」姿勢へと繋がっていくと田中さんは教えてくれました。
では、その事をよりよく感じてゆくために別のワークに移ります。
ワーク・影舞「触れ合う先は指先1点。人と人の間柄を確かめる」
先ほど全員で感じた世界は「全」と「個」。いなかビジネスで例えるならば「団体」と「団員」とも言えるかもしれません。
それでは本題である「リーダー」と「2番手」の場合はどうでしょうか。それを確かめるべく今度は「影舞」というワークにて「個」と「個」にある間柄を捉えていきます。
何やら古典舞踊のような難しそうなネーミングに感じるかもしれませんがこれも至ってシンプルなものです。
二人一組となり先ほどのテルペンを一つお互いの間に置き、そして正座で向かい合ってしっかりとお辞儀をします。そこから間にあるテルペンを両者の1本の指と1本の指とでそっと挟むだけ。これが影舞です。
ポイントはただ一つ。テルペンを挟んでいるところに蝶々がいるようなイメージで互いに持ち合うことです。
蝶がつぶれてしまわないように離したらパッと飛び立っていけるぐらいの感覚。先のワークでテルペンを積み上げていく際に自然に生じるようなとても繊細な力加減で行います。
これは実際にやってみないとなかなか想像がつきにくいかもしれません。互いに持った瞬間に非常に繊細な力加減で支えあっているテルペンは揺れ動きます。そのうち何も意識しないでも自然に流れが生まれ、テルペンを中心とし二人はゆっくりと動きはじめます。
次第にどっちがリードしているのか分からなくなっていくことがあります。相手を導いているのか、それとも相手についていっているのか。これを「運ばれている」と表現することもあります。ふっと気を抜けば落ちてしまいそうになるテルペンを二人で運んでいくのです。
ちなみに落ちた際は「仕切り直し」としてそのテルペンはそのままにお互いに居直しお辞儀をして、再び丁寧に持ち合っていきます。
最初に皆で行った際は、二人一組になり導く側を「リーダー」、ついていく側を「フォロワー」に分けて交互に影舞を行いました。
面白いものでリーダーとフォロワーが替わった途端に上手く運べず、間にあるテルペンを落とす回数が増える組もありました。
ただこれは落とすことが悪いという意味では決してありません。この影舞もまた先のテルペンの積み木のワーク同様に間柄で成りたっているからです。
これは人と人との会話の中においても同じことが言えるかもしれません。
例えば話がなんだか上手くいかなかったと感じた時、どんな気持ちが起きているのでしょうか。
「あっ、今ちょっと話がズレてしまったような気がする」
「いや、その部分はちょっとわからないなぁ…自信ないなぁ…」
など、感じた違和感をそのままにして進んでしまうことがあります。
テルペンを落とすキッカケもこれに似ているのかもしれません。「あっ」とか「いや」などふっと相手との波長、やり取りが僅かにズレるその瞬間を捉えているのです。
そこで影舞は「仕切り直し」をして再び持ち合うことが出来ます。それを経ると不思議と安定感が増したり、より相手をしっかり捉えていく感覚が生まれたりします。
これはまた会話においても同じことが言えて、
「今のところ理解出来なかったのでもう一度教えてください」
と、「わからないこと(落としたこと)が悪い」とせずに正直に丁寧な仕切り直しをしっかりすれば、よりコミュニケーションを取り合うことが出来るのではないでしょうか。
ということは逆に、「落とさないことが良い」と必ずしも言えるわけではないかもしれませんね。
ではこの影舞ワークの集大成として4組の方々に皆さんの前で舞っていただきました。
先の2組は今までと同様にテルペンを用いて。後の2組はテルペンを使わずに触れ合うポイントはお互いの指先と指先のわずか1点とします。もちろんその間に蝶を挟むような繊細な触れ合いで。
そして窓側を舞台とし、途中に音楽も流れる形で行いました。
これが実に不思議でありながら大変興味深いもので、4組4様すべての組が違った舞となりました。
ある組はじっとその場から動かず、仕舞いまでそのままの形のその位置で。
また別の組は何度も何度もテルペンを落としながらそれでもまた仕切り直し、手を震わせながらも互いを確かめ合うようにじっくりと運ばせていく。
またある組はまるでダンスのように流れる動きでお互い縦横無尽に楽しそうに舞います。
「神なんて感じている人を理解することが出来ない」と言っていた方と「自分のことを神」と感じている方のペアも見物でした。
二人が触れ合い、始めのうちは片方(神ではないほう)がグッと攻めていくように、また片方(神のほう)は押されているかのように見えました。
そのまま片方がリーダーとなり押していく形が続くかと思いきや徐々に動きはゆっくりとしたものに変わっていき、そして二人の呼吸は次第に合わさっていくかのように落ち着いていきます。その光景はまるでお互いが理解を深めていくようにも見えました。
後から舞った本人たちに感想を聞くと面白いもので、
「押していったつもりは全くなく、いきなりスーッと動いていく相手についていくのに必死だった」
「僕は相手が迫ってきた感じ、戦いを挑まれている感じがあった」
序盤にお互いが感じていたものはまるで異なっていました。これは観ている側にとっても驚きでした。そして、
「でも次第に自分が止まると相手も止まり細かい動きにもちゃんと合わせてくる。この人は人の心をしっかり読める方だということがわかった」
「最後のほうは分かり合えたかもしれないと感じた」
と、両者は影舞の中で心が通じ合っていったことを話してくれました。
この影舞のワークでは先々で見てきたその人とはまた違った面、またお互いの関係性が現れてくるようでした。
自信に満ち溢れ「神でツキまくり」のほうにいた方がその場では全く動けなくなってしまい、逆に自信が無さそうに「人生ダメダメ」のところにいた方がしっかりとした態度で優しくその動けなくなった相手に寄り添っていたり。
また「自分を神と言えてしまう人が理解できない」人と「神であると言えてしまう」人が時間をかけてじっくり分かり合っていったり。
影舞とは「影が舞う」ことから名づけられたそうです。
その人その人が持っている影が人と人との間柄を通して現れてくる。それは互いの尊い光に照らされ互いの本質的な影だけが残っていくように。それゆえ、そこに浮かび上がってくる関係性も「お互い様」です。
光が当たりモノを見ることができ、奥行きがわかるために陰影ができ、そしてそのモノの背景にはいつも影ができます。
表が良いとか裏が悪いということではなく光と影が合わさってその人、その人同士の関係性なのです。
人と人が向き合い理解し、心を通わす時の本質となるヒントをそんな影舞の中から皆さん見つけていくのでした。
と、こんな濃密な内容で1日目は終了しました。
で、「きき方、話し方」にどう繋がっているの? と思われた方は一連の流れを今一度読み直し、感じてみてください。
マッピングでは他者が眺めている景色、そこにいる人それぞれが今感じているフィーリングを観ていきました。
テルペンでは一人一人のモノの捉え方の違いと、個に見えることも実は全が生じていることを体験しました。
そして影舞では人と人との丁寧で繊細な間柄から、影が、言ってみれば本質的な関係性が現れることを感じていきました。
これらから何が言えるのだろうかというと、それは前述した通りテクニックではなく「在り方・態度的な要素」において非常に大切なものがこの体験したワークの中にたくさん詰まっていたということです。
そこから先の答えは自分自身でやはり体験的に学んでいく必要があるのではないでしょうか。テルペンの積み木ではありませんが、捉え方は一人一人全く異なるのですから。
2日目は「きき方、話し方」の実践編に移っていきます。
主体性とはどう生まれていくのか、人の奥底に眠っている本質・背景を聴くヒントはどこにあるのか、そして話し合いはいかにして深まっていくのだろうか。ということを皆さんで体験していきました。
いやぁ~「きき方、話し方」って奥が深い!
後編・2日目へつづく
(レポート作成 寺嶋紀人)